朴裕河『帝国の慰安婦』をめぐって起きた議論と裁判を契機に生れた現今の状況に対して、15人の研究者が各自の思いや考えを執筆した『対話のために:「帝国の慰安婦」という問いをひらく』が本日刊行されました。

3・28集会出席者も数多く含まれておりますが、その時の発言やその後に公開された記録集をまとめ直したものというわけではありません。

私自身がお誘いいただいたのは、その記録集に寄せた感想記が編者の先生方の目に留まったからのようですが、私はいわゆるどちらの「側」に立つという意識はなく、一若手研究者として執筆陣に参加させていただいたつもりです。

編者のお三方がそれぞれ歴史、思想、文学と専門が異なっているように、執筆陣全体の専門も様々です。個別の論文だけ読むと「文学研究はやっぱり物足りない」「歴史研究はやっぱり頭が固い」「政治学はやっぱり人間を見ていない」「思想研究はやっぱり言葉遊びだ」などと思う方も、一冊の本の中に様々な専門からの論文が並ぶことで見事な相互補完が実現されていると感じてもらえるのではないかと思います。

たとえて言うなら、ひとつの山をいろいろな方向や高さから撮影して、それを並べて山の全体像を見るような、そんな本になっていると思います。

もちろん、この本は完全無欠な本でありませんし、異論もたくさんあるでしょう。執筆陣一同の立場も考えも様々ですが、〈聖典〉を作ろうとして執筆に加わった方はおそらくひとりもいないはずです。むしろ異論との〈対話〉を求めてみなさん執筆に参加しているはずです。

私は特に、私と同世代、あるいはもっと若い世代にもこの〈知の共演〉を読んでほしいと思っております。この本は自分たちの勝利を誇るための銅像でもなければ、自分たちの正義を宣言するための石碑でもありません。時を越え、場所を越えて、他者と〈対話〉をするために文字を書き綴った紙の束に過ぎません。しかしだからこそ、カフェのテーブルや講義室の机の上、あるいは枕元に届けることができるのです。

3・28集会記録集のときもそうでしたが、この本の執筆陣に加わることはいささか勇気のいることでした。しかし、そうした状況があってはならないし、そうした状況をどうにかするのは自分たちの世代なのだという思いから、あえて執筆に至りました。

執筆の過程では、編者の先生方に対して多くのご迷惑をおかけしましたが、こうして刊行され本当に感謝しております。

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「なぜ〈数〉を問うのか?」
 浅野豊美、小倉紀蔵、西成彦編著『対話のために:「帝国の慰安婦」という問いをひらく』
クレイン、2017年5月15日、59-87頁。

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