質問その6
「平和」の定義は何ですか?

回答その6
副題に「平和」を入れておきながら、定義づけもなく不用意でした。

「平和」をめぐっては様々な定義づけがなされて来ましたが、ここではそれらの検討はせず、まずは模擬授業に即して私なりの考えを示しておこうと思います。

私は「平和」を以下の4条件を満たした状態と考えてこの言葉を使っています。

(1)国家間で交戦状態にないこと。
(2)武力行使による国家主権の侵害が起きていないこと。
(3)法的秩序が維持されていること。
(4)住民の人権が組織的な行為による継続的な侵害を受けていないこと。

(1)(2)は「戦争・戦闘状態」にないという意味での「平和」、(3)は社会的混乱状態にないという意味での「平和」、(4)は目指すべきものとしての「平和」と言えるかと思います。

また、(1)(2)は国家を主語にした「平和」、(3)(4)は人々を主語にした「平和」とも言い換えることができるかもしれません。仮に(1)(2)のみから「平和」を定義とするならば、ある国家の政府あるいは国内の武装集団が住民への虐殺行為を展開していても国境を越えた武力行使がなされていなければ「平和」となってしまいますから、住民の視点を入れれば(3)(4)も「平和」の条件に加えられるべきかと思います。

模擬授業でもお話しした1905年の日本軍によるサハリン侵攻は、日露開戦によってすでに(1)を満たしていない状態で行われた行為であり、1945年のソ連軍による樺太侵攻は、(2)を満たさない状態を作り出したと言えます。また、これらの行為に伴って、一時的に(3)が満たされない状況が発生しましたし、戦闘行為による民間人への被害は(4)を満たさなくします。

「平和」の線引きの難しさは(4)にあるかと思います。 非暴力的なデモに対して国家が軍隊を動員して死者まで出して鎮圧する状態を「平和」と呼ぶべきではないでしょうが、移動を制限された被占領者にとって、たとえ武力行使が起きておらず法的秩序が整っていても、それを「平和」と呼ぶべきかは、私にとっても今後の検討が必要な課題です。

ただし、拡大解釈をして定義を曖昧にしては結論も曖昧になってしまいます。

私自身は今のところは自分の研究の中ではあまり「平和」という用語は用いておりません。むしろ、「戦時」「平時」という区分を用いております。「戦時」は(1)(2)が満たされていない状況ですので、より明晰で使いやすい用語です。

「研究における定義とはそんなにあやふやなものなのか」と思う人もいるかもしれませんが、国際関係論や平和研究を長年研究なさって来られた吉川元先生がこの8月に出版されたばかりの最新の研究書で「本書の目的は、「国際平和とは何か」という難問に挑戦することにある」(吉川、2005、20頁)と述べているように、「平和」の定義を模索し再検討していくことも「平和を科学する」ことの重要な課題のひとつであると言えます。

憲法学者の小林節先生は憲法審査会で「改正手続きが存在すること自体が憲法保障である」と仰っています。これは、憲法は改正できるからこそ正統性が生まれるということです。科学も同様で、常に再検証され修正されていくからこそ「科学」であり得ると言えるかと思います。一方、「宗教」は聖典を改正したり修正したりすることは許されません。「宗教」において聖典に対して許されるのは「解釈」だけです。

「平和を科学する」ためには、熱狂を以って戦勝を祝うのではなく静粛を以って犠牲者を悼む良心と、「大きな声」に流されず自分の頭で考える理性、そして価値観の多様性を前提にしてみんなで議論する自由が必要かと思います。

それは科学一般にも共通するはずです。19世紀では科学には「理性」のみが必要だと考えられてきましたが、20世紀を経て21世紀には「理性」だけではなく、「良心」や「自由」も必要であると考えられるようになったと言えるかと思います。

<紹介文献・資料>
吉川元、2015、『国際平和とは何かー人間の安全を脅かす平和秩序の逆説』中央公論新社。
小林節参考人発言、衆議院憲法審査会、2015年6月4日(衆議院インターネット中継)。

広告