韓国ソウル大学で8月11日から14日にかけて開催された東アジア若手歴史家セミナーに参加し、極めて充実した4日間を過ごしました。

企画運営してくださった日韓中の世話人のみなさま、参加者のみなさま、予稿集のため尽力してくださった翻訳者のみなさま、複雑な議論に苦心されたであろう通訳者のみなさまには心よりお礼を申し上げます。

また、会場係をしてくれた学生さんから運転手さんまで、開催校ソウル大のみなさまは礼儀正しく、親切で大変感動いたしました。お礼申し上げます。

せっかくの場ですので、これまでの自分の研究の蓄積から得られた自分なりの新しい歴史観についても言及しました。どんな反論、反発、批難が来るだろうかと緊張しておりましたが、適確な質問への応答を通して、はっきりと自身の歴史観を表明できたことと、それをめぐった議論を行えたことは大きな成果でした。

世話人の先生のおひとりが基調講演で、「他者の傷への想像力」こそが歴史学の役割のひとつということをおっしゃったのですが、私もまったくもって同感です。

私の報告に対して出た質問のひとつに、「朝鮮人はサハリンに残留させられたから悲劇だが、日本人引揚者は“祖国”へ帰れたのだから悲劇ではないではないか」というものがありました。

これこそが、「民族の痛みの想像は易く、個人の痛みの想像は難い」ことを示すよい例かと思います。確かに引揚者は“祖国”へと帰還しましたが、親の世代は樺太で築いた財産や社会関係を失い、子の世代は生まれ育った故郷から放逐されたのです。

我々歴史学者が明らかにすべきは、「民族の痛み」ではなく「人間の痛み」であると思います。
我々の歴史は、「国家」でも「民族」でもなく、ただ「人間」のために書かれるべきです。
「歴史」が政治の道具に堕さないためには、そうした新たな歴史観が必要だと思います。
それこそが我々の世代の歴史学者の仕事ではないかと改めて思えた4日間でした。

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「旧樺太住民の複数の戦後」
 第3回東アジア若手歴史家セミナー(主催:ソウル大学校日本研究所、ソウル大学校東洋史学科、復旦大学歴史系、早稲田大学朝鮮文化研究所、後援:韓国際交流財団、ソウル大学校奎章閣韓国学研究院、国際交流基金)、ソウル大学校日本研究所、2015年8月13日。
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