拙著『亜寒帯植民地樺太の移民社会形成』では、樺太を「多数エスニック社会」と位置付けながらも、ほとんど日本人移住者中心の研究で、その他のエスニック・グループについては言及できていないのが反省点でした。

もちろん、「多数エスニック社会」という概念で重要なのは、多文化性が“移住者”によって生じたということなので、必ずしもエスニック・マイノリティにこだわる必要はないのですが、早速手許の資料から以下の報告を試みてみました。

実際、調べてみると意外なことがわかってきました。
残留ロシア人の中には、樺太だけではなく内地でもパン職人として働きに出ていた人々がいたこと、残留日本人の農法はほとんど日本人入殖者や樺太庁には顧みられなかったこと、初期の日本人入殖者は領有前から暮らしていた残留ロシア人や残留中国人、残留朝鮮人の集落やその周辺へ入殖したことなどなど。。。

樺太のエスニック・マイノリティは人数的には多くはないので、経済史的な研究意義は薄いですが、境界地域における「経験」としては、農業社会史的には大きな意義がある研究になるかと思います。

もう少し資料を整理していずれ論文にできればと思います。

「樺太農林資源開発におけるエスニック・マイノリティ」
日本農業史学会2014 年度研究報告会個別報告、神戸大学、 2014 年3 月28日。