樺太ではどのように農村が形成されたのかを樺太の二つの農村山を事例に農業史学会で報告しました。

有名な須田政美『辺境農業の記録』(1957年)や近年の竹野学氏の樺太農業移民史研究では、移民制度を利用して集団的に入植した人々の姿が主に描かれてきました。

しかし、高倉新一郎などの樺太農業調査経験を持つ北海道帝国大学の植民学者らは、そうではない樺太農業像も同時代的観察の中で記しており、なおかつこれらが樺太農業拓殖の阻害要因であるかのようにも書いています。

では、こうした樺太農業とはどんな具体像を持っていたのか?
それを考えたのが、今回の報告です。

後半のシンポジウムの方では、私も参加していた野田公夫先生代表の科研のパネルが組まれていました。そこでの野田先生のお話を聴くと、成果本に寄せた私の原稿は、今ならもっと先生の意図にあったものを書けただろうに、と思ってしまいました。。。

自分が書きたい物を書くことよりも、世間や周囲が必要とする物を書くことが大切であると最近切に思います。


「植民地樺太の資源開発と移住者による農山漁村落の形成発展―1920・30 年代を中心に―」 日本農業史学会2013 年度研究報告会個別報告、東京農業大学世田谷キャンパス、2013 年3 月28 日。

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