2年前に発表した樺太中央試験所に関する論文の続編とも言える論文が同じく『農業史研究』に掲載されました。

院生時代から私の樺太農業史研究は、総力戦体制(戦時体制)との関連付けが薄いと言われて来たので、今回の論文はそれを克服する試みでした。

1937年盧溝橋事件以降に新設された3部門の動向や、東亜北方開発展覧会、総力戦イデオローグとしての菅原道太郎、そして中試スタッフの「戦後」が主なトピックです。

藤原辰史先生の「技術文化史」という概念に乗じて「農業技術文化史」という視点からアプローチしました。

技術そのものの歴史(技術史)や、技術の経済の関係(技術経済史)ではなく、農業技術と社会の関係とを考察することが目的でした。その意味では、「農業技術社会史」という方が正確かもしれません。

今回の論文に限らず、自分の関心から言うと、「農業社会史」という分野があってもいいのではないかと思っています。「農業技術史」「農政史」「農業経済史」「農村(社会)史」「農民史」…などなどの分野は存在していますが、「農」の外の社会と「農」がどう関わったのか、ということを問う視点はこれまであまり見られなかったのではないかと思っています。

ところで、編集後記を読むと、今号には7本の論文が投稿されたけれど、掲載されたのは2本とのことでした。投稿から入稿までの期間は半年程度ですので、論文自体がよくても査読者・編集委員の誠実な対応が無くては、掲載には至れないわけですから、感謝であります。

「総力戦体制と樺太庁中央試験所―1937年以降の樺太植民地社会における帝国の科学―」『農業史研究』第47号、2013年3月、70-81頁。

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