中山大将「樺太のエスニック・マイノリティと農林資源:日本領サハリン島南部多数エスニック社会の農業社会史研究」『北海道・東北史研究』第11号、2018年。

本稿の目的は、日本領サハリン島南部たる樺太において樺太アイヌなどの先住民族や領有以前からの居住者であった残留露国人、領有後の移住者である朝鮮人などのエスニック・マイノリティが、いかに移住内地人を中心とする樺太移民社会に組み込まれていたのかを農林資源の局面から検証することである。

本稿では以下の三つの課題を設定した。第一は、統計などからエスニック・マイノリティの農村部での分布状況やその変遷を把握し、移住内地人や樺太庁諸政策との関係性を検証すること、第二は、エスニック・マイノリティがいかに樺太経済に組み込まれていたのかを検証すること、第三は、先住者の生産様式に対する樺太移民社会の評価の如何と技術の導入の有無を検証することである。

農山漁村の人口動態を『樺太庁治一斑』などの統計から字レベルで分析することで、領有後、内地人移住者が先住者居住域へ移住することで混住化が急速に進んだことが明らかになった。また、領有初期からエスニック・マイノリティ先住者の農林水産資源へのアクセス権の制限が制度・運用両面から実施され、内地人移住者に便益を与えるように仕向けられていたことが明らかになった。初期の内地人移住者の定着に先住者は大きな役割を果たしたと言える。

樺太の農林業労働市場には、先住民族を含めエスニック・マイノリティが参入する事例が見られた。とりわけそれが顕著であったのは、朝鮮人移住者であり、定住化や飯場経営者の存在など、実態としても内地人移住者と同様の展開を見せていた。また、ヨーロッパ系住民の中には、パンや食肉加工品の製造を行ない、供給者として食品市場に参入する事例も広く見られた。

技術という面から見れば、樺太農政においても農村の生産現場においても、領有初期を除けば、在来農法や品種がひろく取り入れられるという現象は見られず、むしろそれらは次第に駆逐されていった。ヨーロッパ系住民については、在来農法・品種が比較的維持されたが、「保護」の対象とされた先住民族系住民は、混住化と市場接続の進行にともない次第に従来の生産様式を喪失していった。

(掲載:2019年2月19日)

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